東京凰籃学院

東大受験:ちょっとしたヒント


1 論述入試,いまやメジャーに

 マークシート全盛期を経て,再びメジャーの座を獲得した論述入試。小論文では生命倫理,現代文明,国際関係,文学などありとあらゆるテーマが出題され,普通の科目も国立大学ではほとんど記述・論述形式となっている。そんな中で,日本文を書くのが苦手,というのは致命的だ。だが,論述対策より先に,英単語や世界史など膨大な暗記も抱えている。それに論述なんて対策の立てようがないように見える。

 そんな悩みを抱えるキミに,ちょっとしたこぼれ話を紹介したい。

2 こんな答案,書いてませんか?

 論述のコツを説明するのに格好の材料は現代文だ。まず次の文章を軽く読んでほしい。東大の問題だが,決して難しいものではないはずだ。

 川の流れをずっと見守っていて,いつも覚えるのはそのふしぎな感覚だ。川の流れの絶えることのない動きがうつしているものは,いつだってじっとして動くことをしない空だ。川の流れについてそういう感覚をもちつづけてきて,なじめないのは,流れという比喩の言葉だ。時の流れ,歴史の流れといったふうに,流れという言葉が比喩として語られると,ちがうと思う
 川の流れは,流れさってゆくと同時に,みずから写すものをそこにのこしてゆくからだ。流れさるものは流れさる。のこるのは,流れさるものがそこにうつす映像だ。時や歴史についていえば,流れとしての時や歴史でなく,流される時や歴史がそこにのこす映像こそ,いつだって流れさる時や歴史についてよりいっそうおおくを語りかけてくるように,わたしには思える。

設問 下線部で,『ちがうと思う』のはなぜか,その理由を述べよ。

 さて,普通にこれでテストをすると,次のような答案が続出する。

★ 危険な解答

 時や歴史など流れさるものはそこにうつすものを残し,その残された映像が流れよりもいっそう多くを語りかけてくるから。

 ほとんど抜き出しただけだから,まず採点対象にはならないだろうことは想像に難くない。じゃあ他にどう書けばよいのだ,と思う人はまず,次のような疑問をもってほしい。一見単なる「いちゃもん」のようだが,重要な視点だ。

(1) 「そこにうつすもの」って何だ? 抽象的でわからないぞっ! 時が映像を残すって,一体どういうことだ?

(2) 多くを語りかけてくると,なんで筆者は「ちがう」と思うのだっ? べつに語っても語らなくてもいーじゃないか。

(3) そもそも語りかけるってどういうことだ? そんなに大事なことなのか?

 さて,このような疑問に答えるべく答案を書き直してみよう。東大に合格するようなトップレベル生の答案はおおむね次のようになる。

★ ウカる答案

 時や歴史など刻々変化するものを流れ去るものと決めつけてしまうと,重要な事件をも忘れ去ってしまう危険があるから。

 「ちがうと思う」という筆者の感想に注意。要は,「去る去るって言ってるうちに,大事なこと忘ちゃうとまずいんじゃないの」という心配・懸念の気持ちが述べられているのだ。「危険な解答」は,筆者の気持ちがわかっていない。

 文章の字面をよく読むことも大事だが,もっと大事なのは筆者と感情を共有することだ。それができずして,読解したとはいえない。さらに注目してほしいのは次の点だ。

 「ウカる答案」は抜き出しではないので,一見自己流のでっち上げに見えるかもしれないが,実は下線部と次のように完全に合致しているのだ。

下線部→ 時の流れ,歴史の流れといったふうに, 流れという言葉が比喩として語られると, ちがうと思う。

ウカる答案→ 時や歴史など刻々変化するものを 流れ去るものと決めつけてしまうと, 重要な事件をも忘れ去ってしまう危険があるから。

 このようにして,下線部の抽象的内容をいちいち丁寧に説明しているのである。

 これに対し「危険な解答」のほうは,一見文中の語句を使って器用に作られていながら,実は下線部の抽象語が説明されておらず,従って,筆者の感情が読めているはずもなく,結局,筆者の「ちがうと思う」の理由を全く説明してはいない。

 現代文で測られるのは,表面的に記号をつなぎ合わせる力ではなく,筆者の意見を良心的に聞くという基本的な姿勢なのである。もっといえば,原文の筆者,出題者,採点者,そして受験生の4者間で,血の通ったコミュニケーションが求められているのだ。

3 的中って万能?

 ともかく受験勉強は,そのコツがわかれば一般の人が考えるよりもはるかに楽しいものである。ただし,ちょっと聞きかじっただけで,「これで完璧,受かったも同然」などと思えるような妙薬はどこにもない。いくら優れた答案に感動しても,自分が書けなければ何の意味もないのだ。そのための訓練をするのに,人にもよるが,相当の期間を要する。

 ところで,最も誤解されやすい「ノウハウもどき」が入試的中であろう。なにしろやったことのある問題がそのまんま出てしまうのだ。じゃあ,やったことのある人はみんなその入試問題を解けるのか,という問いについては,気の毒だが,「ノー」だ。

 難関大の入試問題はどれもずっしりと手応えがあり,一筋縄ではいかない。実際には,的中しようがしまいが,それ相応の実力のある人でないと解けないのである。これまでの経験からみるに,一回解いたことがあるぐらいでは的中の効果はほとんど出ないといってよい。

 だから,似たような格調高い問題で,何度も練習する必要が生じる。それも,ヴァリエーションをつけて,どんな聞き方をされても答えられるようにしなければならない。それなのに受験勉強に与えられている時間は短い。当然,ハズした問題を解いているのは単なる時間の無駄である。くれぐれも教材は慎重に選んでほしい。

4 されど暗記

 暗記が進まない人に一言。暗記の極意は,覚えようと身構えないことだ。単語集や世界史の参考書を読むなら,普通の読書と全く同じように,内容を理解しながら目で追っていけばよい。当然,読んだ直後は内容のかなりの部分を覚えているはずだ。だが,全部は覚えきれるわけがない。だから3日ぐらいしてまた読むのである。3日もすればことごとく忘れているはずだ。それでよい。また同じように読む。このとき,忘れていることに自ら激怒してクサってはならない。はじめて読む小説のようなつもりで,また読む。これを繰り返すことで一年もあれば入試に必要な事項はすべて覚えられる。

 要は普通に勉強すればよいのだ。暗記が進まない人をみてみると,圧倒的に勉強時間が足りない。さらにやる気をなくす原因を突っ込んでみると次のようになる。

(1) 覚えられない自分にいらいらして耐えられない

(2) 勉強すれば必ず成績が上がることを信じられない

(3) 身近に天才的な奴がいて,あらゆる科目で太刀打ちできない

(4) 勉強をおもしろくする術を知らない

 とまあ,こんなところだろう。なお,「親が勉強しろとうるさくいうから」というのは,あとから考えた口実であって,勉強しないことの「原因」ではない。部活や学校行事を理由にするのも同様。

 (1)については,自己評価が高すぎるのであって,「自分の思っている百分の一も自分には(そしてほとんど全ての人間には)暗記力はないのだ,だからあきらめて勉強しよう」と思えばよい。怒るぐらいだから,このケースは結構有望。逆に落ち込んで寝込んでしまうケースはかなり危険。

 (2)はこれまで難関中学や難関高校に受かった経験がないということ。当然不安だが,こまめに模試などを受けて確認する。自信をつけるにはYゼミがいい。問題が易しいので実力相応の判定がつくからだ。普通の模試だからといって,S台などを受けに行くと,東大受験生がごろごろいて,難問ばかり出され,全然解けず,あっさりE判をくらうことになる。

 (3)は(1)に近い。勉強しなくても楽々受かるような奴はいくらでもいる。東大合格者の半数は,少なくとも本人の主観からみて,「楽々と」合格している。無視せよ。なぜなら凡人が才能のある奴の真似をしても,単に適応障害を起こすだけだからだ。

 (4)は,実は最も多く,かつ最も根元的な理由である。つまらないこと,無意味に見えることを避けるのは,ある意味では健全な精神構造を物語っている。優れた指導者(東大の教官でもそうだが)は,必ず「おもしろさ」を伝えようと努力する。そのような師を求めるに如くはなし。

 だが,いずれにしても,根気よくやれば必ず報われる。そして,宗教ではないが,信ずるもののみが救われるのだ。そしてさらに宗教ではないが,何を信ずるかによって結果は大きく変わるのだ。

5 無駄な勉強あれこれ

 実力がないから基礎からしっかり……こんな「神話」を信じたらいつまでも基礎のまま終わってしまう。よく,難問とか基本問題とかいうが,「基本問題を解くうちに難問も解けるようになる」とか「難問を解ける人は基本問題も解ける」とか思うのは大変な間違いである。両者は全く別物だと思った方がよい。応用題を解くうちに,案外基礎知識が欠けていることに気づき,基本問題に手を着ける。同様に,基本知識だけあっても応用できなければ意味がないので応用題に手を着ける。だから,両者を交互に勉強するのが最良である。

 難関大で頻出する「高次関数の接線の本数」という,よく知られたネタがある。問題集では難問として扱われる。従って,量的にも決して多くは出ていない。だがこの手の問題はパターンさえ覚えれば実に簡単に解くことができる。解ける人にはどうってことのない問題だ。それなのに東大受験生の中にも解けない人がかなりいるのである。それがあまりに多いので驚いた経験がある。

 もちろん,本当は(タテマエは),この手の「特殊」な問題は,難関大受験生が「実力=応用力」で解くことを前提としている。だが,実際には「既に知っていて,何度も解いたことがある者」のみが合格するのだ。

 「勉強」に無駄なものがあるはずないじゃないか,という教育的建前論はおいといて,こと受験に関する限り,何が無駄なのか,最も典型的な例を挙げると次のようになる。

(1) 変な英文

 範囲外の単語が多すぎ,従って注釈も多すぎ,苦労する割には実がない。こういうので勉強しても(受験の)英語力は付かない。望ましいのは,ほとんど全ての行に難関大の重要単語がぎっしり含まれ,それ一題をエサにして熟語も文法もかなり学べるような良質な英文だ。

(2) 解ける数学・考えすぎる数学

 嬉しいからつい解けそうな問題をやってしまう(これを逃避的サド型という)。解けない問題は不愉快だから退け,解ける「基本」問題をやっているうちに力が付くと思いこむ。だが,解ける問題をいくらやっても,解けない問題は解けないままである。逆もある。マニアックな難問に考え込んでハマってしまい,気がつくと数学ばかりやって,他の科目が手薄になる(これを攻撃的マゾ型という)。この場合,「考えることに意義がある」という仮説に全てを賭けてしまう。だが,覚えるべき問題は覚えていかないと入試に間に合わない

(3) 抜き出し現代文

 上の例でもみたし,東大のゼミでも経験したことだが,東大の先生は,学生が資料をおうむ返しに語ることを嫌う。どこがおもしろいのか,どういう意義があるのか,と聞いているのに,書いてあることをそのまま答える人は,干される。
 話は小学校に飛ぶ。教科書にエジソンの話があったとしよう。「エジソンは,いろいろ発明したから,えらいとおもいます」と感想を述べる小学4年生。これを見逃した時点で既に教育の失敗が始まっている。正しくは,「エジソンは,役に立つ発明をしたから,えらいとおもいます」だ。発明すれば何でも偉いわけじゃない(スカッドミサイルとか)。その違いを教えずに空虚な感想文を書かせまくっても逆効果だ(小学4年ならこの程度の理解は十分可能)。

(4) 常識のない地理

 東大の地理は常識だけで十分合格点に達する。最近の例でも,東北地方に工場が進出できたのはなぜか,とか,ニュータウンで小学校の統廃合が起こっているのはなぜか,とか,常識で十分解答可能なものが目立つ。こういう問題が苦手な人,または訓練できていない人はいくら地理の暗記事項を仕入れても東大入試で真っ白になるだけである。知識で勝負するなら日本史の方がまだよいであろう(日本史も割と常識問題だが)。

(5) 物理の微分方程式

 単振動をいちいち微分方程式から説明している答案があるが,東大では不要である。それどころか,かえって遠回りになる。教科書の公式をいかにウマく使って最短で解くか,が問われているのだ。微分方程式で現象の本質がわかると考えている人もいるが,計算は,合理的なイメージを得るための中間的な手段,あるいはイメージが先にあってそれを定量的に説明する手段でしかない。だから回りくどい計算は単なる徒労である。


 今後も適宜加筆していく予定です。ご感想などございましたら,メールにてお知らせ下されば幸いです。

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