スタッフルームから

共通第一次入社試験?


 以下のようなご質問を数多く頂いておりましたが,受験勉強の内容から見て周辺的事項であるため,ついつい後回しにしておりました。m(__)m この場を借りて回答らしきものを書かせて頂くとともに,本題からやや離れた話題にも触れてみたいと思います。

 大学受験の勉強をしていると,こんなことして何の意味があるんだろうと思うことがあります。そもそもなんでこういう勉強内容が決められているんでしょうか。また,そういう疑いの気持は無視して突っ走るべきなのでしょうか?

 「無視して突っ走る」のは精神衛生上よくありません。できる限り受験勉強を自分の中で意義付けたほうがやる気が出るものです。では,どんな意義付けをすればよいのでしょうか。

1 「試験」の本質

 受験勉強は,興味に反することや,異常にこまかいことを覚えなければならない点で,一般教養といった意義付けは難しいように思われます。かといって,いつか役立つという保証もありません。

 ところで,積極的な意味を見出すのも「意義」には違いありませんが,反対に,「試験」の正体と限界を知ることも,気分を和らげるための「意義付け」になるのではないでしょうか。というのも,不安感は往々にして,「対象がはっきりつかめない」ところから生じるものだからです。

 大学受験,司法試験,入社試験……こういった人気の高い試験の内容は,実社会で直接役立つ実務とはかなりかけ離れています。これら試験の正体は,ズバリ,組織に属するための振り分け手段です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 大学入試は多くの人にとって,企業への「共通第一次入社試験」です。公務員試験は明らかに官吏採用試験です。司法試験は事実上「弁護士事務所入所試験」兼「官吏登用試験」です。試験は所詮,組織の歯車となるための手段にすぎません。

 ですから,将来オリジナリティのある仕事をしたいと考えるような人が,試験制度に疑問を持ったとしても至極当然といえます。まずは,このような試験制度の限界を認識することで,試験が「得体の知れない怪物」ではなくなることと思います。ただし,多くの場合,独創的な仕事をする前に,組織に属して修行を積む必要があるのも事実です。ですから,いちがいに試験制度を否定することはできません。試験とはうまく付き合っていく必要があります。

2 「試験」への期待

 魅力ある職場には人気が集まります。ゆえにやむなく選抜を行わなければなりません。ところがさらに不幸なことに,選別試験の内容は,その職場での仕事と極力関係ありながら,かつ仕事にはあまり役立たない一般的なものを選ばざるをえないのです。受験者数が多く,共通試験としての性格が強まるほど,この傾向は顕著になります。ゆえに,受験者数が莫大な大学入試は,内容的にも実務から最も離れたものになります

 ではなぜ「共通試験」が役に立たない内容になるのでしょうか。

 第一に,各職場での仕事内容はあまりにその職場に特化し過ぎていて,一般的な選抜基準となりにくいからです。ある職場で必要な技能が別の職場で通用するわけではありません。

 第二に,学問そのものが,複雑な状況を整理把握するための方法論を備えており,試験で(実務からは遠くても)根底的な思考力を試す分には役だってくれるからです。

 第三に,同じ職場でも,必要とされる技能は時代とともに著しく変化します。ワープロの普及でペン習字の需要は激減しました。書類の整理能力はパソコンファイルの分類・管理能力へととって代わられつつあります。複式簿記でさえ,いろいろなソフトのおかげで素人でもすぐに記帳できるようになりました。算盤に至っては何をかいわんやです。

 こういう事情により,企業が個別に行う入社試験でさえ,実務能力よりもむしろ知識を問う形のペーパーテストが主流になるのです。まして大学入試ではなおさらです。

 ところで実に多様な技能認定試験があります。しかし,特殊な技能の場合には,対象となる職場が著しく限定され,また時代にとり残されることがあります。すると受験者としては,試験の技能が細分化されればされるほどたくさんの試験を受けねばならず,受験の手間が増大します。けっきょく「万能により近い資格」である学歴に期待が高まるのです。

 かくして,特に大学入試には次のような要請が生まれます。

(1) 受験者側にとっては,せっかく受験するのだから,合格した場合できるだけ広い職業選択の幅が確保されるほうが効率がいい
(2) 企業側にとっては,どんな部署でもどんな時代の変化があっても,できるだけ対応できるような根底的な能力を見たい
(3) 大学側にとっては,試験にかかる労力や費用を,研究を圧迫しない程度に留めたい

 これらの要請の妥協点として,たとえば大学入試は,「記憶力」「発想力」「表現力」といった普遍的と思われる能力を試すに留まっているのが実態です。

 ちなみに,最近よく聞かれる「勉強以外の能力による(自己)推薦」といった制度は,上記のような観点から見て,「大学入試の一般性」に挑戦する動きと捉えられます。大学入試を事実上「万能に近い資格試験」として利用している企業側がこれをどうとらえるかが注目されます。

3 受験勉強の見方

 ということは,そういう普遍的な能力を身に付けるために受験勉強を利用する,という考え方はできないでしょうか。

 今目の前にあるつまらない学習事項に意味があるのではなく,それを覚えるという行為自体がトレーニングだと考えるわけです。すると,受験勉強に対する期待の内容がすこし変わってきます。

 よく言われることに,「勉強の中身を自分なりに楽しむ工夫をする」というのがあります。これは当然です。受験生に対して授業をする側も,できるだけ楽しく学べるように工夫すべきです。しかし,それ以外にもできることがあります。

 「新しいことを覚えた」という事実に対しても喜びを感じられるようになりたいものです

 そのためには,復習が必要です。今日参考書のどのページでもいいから読んでみてください。そして,翌日,そのページの半分を隠して,どんなことが書いてあったか思い出してみてください。すこしでも覚えていれば,「昨日より知識が増えた」という喜びを感じるはずです。

 受験勉強に疑問をもって停滞する人の多くは,このような素朴な喜びの感情を味わうことを忘れています。そして,そういう人の最も顕著な共通点は「復習をしない」ことです。

4 壁の正体

 受験勉強の壁というのは実に多様なものがあります。しかし,これまで多くの受験生を見てきて,おそらく壁の最大の原因の一つと思われるものが,「復習をしない」というごく単純な事実です。

 一回読んだだけで勉強したような気になってしまうので,そのあと長い間その項目を再び見ることをしません。だからあっさり忘れてしまうのです。「勉強しているのに成績が伸び悩んでいるのですが……」といった相談を寄せられるケースのほとんどが,復習をしていないケースだといっても過言ではありません。

 復習をしなければ「前より知識が増えた」という喜びを感じられるはずがありません。ゆえに,ますます学習速度が遅くなってしまいます。そういう人は,最近新しく勉強した問題をもう一度解いてみるなどして,「まだ覚えている」ということに対し,意識して喜ぶ必要があります。もちろん,忘れていたらその場でもう一度覚えればいいのです。そのときは,「せっかく勉強したことを忘れずに済んだ」と思って喜べばいいのです。

5 しっかーし!

 世の受験生は,「復習しよう」と言われてすんなりできる人ばかりではないのです。そんなバカな,と思うかもしれませんが,それが現実なのです。

 受験生たるもの,復習が大事だなんてことは小学校のときからわかっているはずです。その上,塾の授業などでは先生から「ここ,復習するんだよ」と言われることがあります。そう言われれば,その日は復習するのです。ところが翌日以降になると,もう何もしないばかりでなく,次の回の授業の内容は聞きっぱなしで二度と復習しない,なんていう人がけっこういます。「三日坊主」ならぬ「一日坊主」です。

 受験勉強に限らず,一晩寝ると記憶がリセットされてしまうタイプの人(!)がいます。これは非常に困ったことです。

6 ちょっと余談

 実は,こういう人は,社会に出ても問題になります。たとえばこんな具合です。

(1) 事務員で,「毎日出勤したら机の上を片付ける」ように指示されているにもかかわらず,こんな原始的なことを実行しない。
(2) 実行しないのでその都度上司から片付けるように言われ,「元気に明るく返事をして(←ここがミソ)」片付ける。(あの人,性格はいーんだけどなー,との噂)
(3) こんな具合で,毎日いちいち初歩的な作業にまでつきっきりで指示を出していると上司も仕事にならないので,マニュアルを作る(出た!マニュアル化)。
(4) マニュアルを読んでその日はせっせと片付ける事務員。泣いて喜ぶ上司。
(5) 「さー,もう大丈夫」と思いきや,次の日からマニュアルを読まない(がーん)。当然片付けもしない。
(6) 「きみぃ,マニュアルをよみたまえ」と,泣きながら毎日指示する上司。

 どこの社にも一人や二人はいると思います。こういう人。この例で,「事務員」→「受験生」,「机の片付け」→「復習」,「上司」→「塾の先生や親御さん」としてもらえば共通点は一目瞭然でしょう。

 きちんと勉強する成績優秀な人から見ると,このあたりが全く理解できないわけですね。そういえば昔,塾講師をしていた東大生の多くが「なんであんな単純な復習をやらないのか理解できない」とよく言っていたのを思い出します。「勉強しない人」をみて,彼らなりにカルチャーショックを受けるわけですね。実際,社会では,マニュアルを作ってもだめな人は容赦なく切り捨てられるのが普通です。

7 いくつかのヒント

 しかし,まだ高校生の段階で切り捨てるのは早すぎます。こういう人でも極力習慣的な復習を行い,そこから喜びを感じる経験をしてほしいものです。当学院で半強制的に基本事項の確認テストを実施するのは,そういう目的もあってのことなのです。

 「記憶力」「発想力」「表現力」……これが入試で問われる3大能力です。

 「記憶力」を伸ばすには次のような点に注意するとよいでしょう。

(1) 一度勉強したことは必ず何度か復習する……上述の通り。

(2) インデックスを頭の中に作成する

 これはテーマを中心に覚える方法です。たとえば「ヨーロッパ中世とイスラム世界の中世の違い」のような題を適当に考えて(本当は最適なテーマを塾などで勉強するのがよいのですが),関連する知識が芋蔓式に出てくるように整理するやり方です。

(3) 学校に行く電車の中で思い出す

 前の晩に勉強したことがまだ記憶に残っている朝のうちに思い出すのです。この方法は,非常に有効です。

 発想力は,暗記した内容を自由自在に使いこなす力です。発想型の問題は,その場で解かなければならないので一見手ごわそうですが,もともと記憶した内容を使うわけですので,暗記を徹底することでかなりのところまで得点できます。あとは問題演習で知識を使う練習をするだけです。ここでは,演習の効率を上げるために,志望校の入試に出るタイプの問題に絞って反復訓練を行うのがコツです。これについては,「受験アドヴァイスのコーナー」の記事「数学は暗記か?」もご参照ください。

 表現力は,基本的には文章の添削をしてもらう以外にありません。が,ちょっとした補助的な方法があります。毎日乗っている電車……その吊広告をじっくり見てください。雑誌の広告が目立つでしょう。特に女性誌の広告には奇抜な表現があって,けっこう楽しめます。もちろん,こういう表現は直接論文入試で使うわけではありませんが,日本語の運用の仕方や語感,説得力のある単語の組み合わせなどを学ぶことができます。

 こういう小さな工夫を積み重ねて楽しく勉強してみてください。ご健闘とご成功を祈ります。


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