東京凰籃学院

東大後期小論文のヒント

その3 推奨する答案例と分析


 では,推奨する答案例を挙げてみよう。2つの答案で,はじめの部分は重要事項のため,一部重複した内容になっている。

推奨する答案例1:アの場合

 現在技術が女性の家事負担を軽減していないのは,過渡的な現象であると考える。

 家電ははじめから女性の使用を目的として製造され,女性が楽をして喜んでいる場面がCMで流れる。こうしてどのメーカーもできる限り既成観念に訴えようとする。これは,そのほうが需要を喚起しやすいという,商業上の動機によるのである。科学は元来価値中立的なものだ。「家事は女性の仕事」という先入観を人々に植え付けるのは技術ではない。商業資本なのだ。

 ゆえに機械化が女性を家事から解放するとする議論は,このような人間側の固定観念や商業資本の行動を見落としている。

 ところが一方で,科学技術は情報化をもたらした。現在の女性にとって,学び,批判力を養うためのメディアが次々と登場している。技術はまた社会を豊かにした。そのため,一介の主婦が,さまざまな情報源を用いるだけの資金的ゆとりも手にした。文化は特権階級から放たれたのだ。

 かくして女性が目覚め,既成観念の尻目に乗る商業資本を批判し,一つの勢力となるだろう。女性の社会進出,労働現場への参入は,必ずそのような覚醒をもたらさずにはいないのである。かつて人権運動が多く労働者階級から起こったように。「主婦を家庭に縛り付けるような宣伝をするメーカーからは買いません」……こんな主張が飛び交う日も遠くはないだろう。

 そのとき,商業資本はこんどはその新しい勢力に乗ること請け合いである。消費者たる主婦の歓心を買おうとして,家事分担を前面に出し,CMには夫婦で和気あいあいと洗濯する場面が流れるだろう。そしてついに,技術は夫婦の家事分担を均等化する方向へと機能し始めるのである。

 

推奨する答案例2:イの場合

 筆者の言うように,技術は一見家事を楽にしてくれるように見えて,実は女性の負担を軽減していない。これは,そこに人間側の既成観念が介在するからである。

 すなわち,家電ははじめから女性の使用を目的として製造され,女性が楽をして喜んでいる場面がCMで流れる。どのメーカーも既成観念に訴えようとするが,これは,そのほうが需要を喚起しやすいという,商業上の動機によるのである。科学は元来価値中立的なものだ。「家事は女性の仕事」という先入観を人々に植え付けるのは技術ではない。商業資本なのだ。

 技術は手段を用意するのみであり,それを使うかどうかは人間側の考えにかかっている。労働観や倫理観の歴史において,人間はまことに非力だった。社会問題の解決は遅れ,保守勢力が最後まで残存するのが普通である。「なぜあのとき,もっといい技術的手段があったにもかかわらず,使われなかったのか」……薬害をはじめ,多くの社会問題が結局のところこのような末路を迎えている。

 こと労働,階級問題について言えば,市民革命以後,経済弱者の解放には百年単位の歴史的時間を要したではないか。そしていまなお,階級差別とその固定化が克服されたかどうかは不明なのである。

 故に女性が家事労働において,そして広く一般の労働市場において男性と対等の立場を獲得するまでには,長期にわたる苦難と,そして悲劇的な改革という形をとらねばならぬのではないかと懸念するのである。

 人間側の意識がこれまでどおり緩慢な歩みを続けるならば,いくら技術が進歩したとしてもこれが男女の均等化のために用いられることは当分の間ないであろう。

 どちらもはじめの部分は共通して科学の中立性を指摘し,商業資本(=利権)や既成観念の力を暴露している。さらに答案例1は「科学技術による情報化」「豊かな社会の特徴」「人権意識の目覚め」といった多様な論点を盛り込んで無理なく接続している。答案例2は,主に歴史的事実を用いている。ただ,その趣旨は「人間の意識が技術革新の速度に追いつかない」という,かなり定着した説を用いて安全な論理を目指している。

 特に,「危険な解答例1」の弱点であった科学と労働均等化の因果関係必然性について,「情報化」「労働現場における意識の目覚め」といった2つの定番論法を用いて説得している。そして後者については歴史的視点からも補強している。

 答案例1の末尾に関連して,最近実際に,主婦がダンナに「簡単だからやっといて」と仕事を押しつける場面がある家庭用品のCMが流れている。また答案例2については,急進展する生命科学に対して生命倫理や法思想が追いつかずにいる現状がある。どちらも現実と符合している

 このように,小論文の第一歩は,

重要な話題について安全で根源的なネタを一つずつ仕入れることから始める

べきである。でなければ他人よりいい答案は書けない。賢明な諸君ならもうおわかりと思うが,ここで「いい答案」とは,

(1)深い分析 (2)密度濃い多様な視点 (3)現状に合う内容 (4)より根源的な理由付け

などを含む答案のことにほかならない。

 以上,長々と書いてきたが,これが皆さんの考察のきっかけとなり,何らかの役に立てれば幸いである。

 受験生の皆さんの健闘を祈る。


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