偏差値が,異なる母集団や異なる試験問題のもとでは大きく変動することはよく知られています。では,たとえば東大受験生の集団が多数同じ問題を受験するような模試の偏差値はあてになるのでしょうか。
ここで,「偏差値なんかどうということはない」といえばカッコいいでしょうが,現実問題として,それは想像以上に「あてになる」といわなければなりません。
東大型模試の最終回は11月です。この時点でまだ入試までには3ヶ月もあるのです。受験は水物,といわれる中,そんな先のことが予測できる方が不思議ではないでしょうか。
にもかかわらずA判定,つまりある偏差値以上の人はきちんと80%以上合格してしまいます。実はいろいろ調べてみると,この3ヶ月間,受験生の学力の相対順位はほとんど変化せずに推移するのです。入試直前の追い込み期に順位が変化しない……それこそC・D・E判定をもらった人にとっては絶望的です。
ところでこのような事実は何を意味するのでしょうか。本当に絶望的なのでしょうか。
多くの受験生は入試直前期になっても,
それまでの勉強のやり方を加速するだけで質的な変化はない
と考えて間違いありません。そのような中で自己流の殻を脱して質の高い学習をすれば,相当に有利になるのではないでしょうか。では,「質の高い学習」とは何でしょうか。当たり前のようですが,
ズバリ,入試に出る内容を勉強する
ということになります。
こういうことを公然と言うと案外非難されたりもします。合理主義的な考え方にアレルギーをもっていて,「ちゃんと勉強しなければ」と考える人もいるようですが,では「ちゃんとした勉強」とは何でしょうか。「受験勉強は偏っている」と言うのは簡単ですが,どのような基準からそのように思うのでしょうか。
大学に入れば受験勉強をはるかにしのぐハードなカリキュラムが待っています。そして少なくとも高校の授業よりは受験勉強の方がずっと大学での学問に近いのです。もし大学での洗練された学問が「理想」であり「ちゃんとした勉強」であるならば,受験勉強こそ,その格調高い学問に触れる絶好の,そして唯一の機会なのではないでしょうか。
と,話は飛びましたが,結論を述べましょう。受験は情報力の勝負です。適切な情報を手にしている人にとって,偏差値は何の意味も持ちません。しかし,そうでない多数の人にとっては偏差値は越えがたい壁になります。
ところで,A判定で20%も不合格になるのはなぜでしょうか。これも調べてみると,意外にも
私立一貫校生で中学から東大を目指し塾に通っていた人
が多いのです。なぜでしょうか。理由は簡単です。
自己流の勉強の仕方とペースが身に付いてしまった
からです。それがたまたま高2までは通用してしまったので,多くの人が受験勉強を始める高3になっても改めようとはしなかったのです。ハズした勉強を何年も行うのはまさに不幸と言うほかありません。
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